2019/07/24 16:11

アクセサリーについての話です。あったら良いけど、あってもなくても生きていくには困らない。アクセサリーって、なぜ買うんでしょうか。

こんにちは。天然石の手仕事ジュエリー『ひかりのいしむろ』の、原口あゆみです。今日は私の手作りアクセサリー好きについてのお話です。

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アクセサリーの役割

一般的には、アクセサリーといえば「自分をよく見せるためのファッションアイテム」という見方がほとんどだろう。今流行りのパーソナルカラー診断では、ウィンタータイプとサマータイプはシルバーで、スプリングタイプとオータムタイプはゴールドをつけると魅力UPと言われる。

それから、社会的に意味がある、結婚指輪や、喪服に合わせる真珠のアクセサリー。これは仮におしゃれに関心がなくても身につける事がある。

あとは、身分を表す道具としても使われてきた。紫色は高貴な方が身につける色と決まっていたし、勾玉が発掘されれば、きっと身分のある人だったに違いないと言われる。もちろん、王冠やティアラの宝石も。

もう一つ。お守りという役割がある。私がアクセサリーを身につける理由は、ほとんどこれだと気づいた。もちろん、自分の目を喜ばすもの、身につけたら映えそうなものを選んでいる。ただ一番の目的は、身につけた時の安心感や励まされる感じ、気分が良くなる感じや、そのもの自体が好きな気持ちだと気づいたのだった。


300円均一のアクセサリー

しばらく前のお話。

仕事も忙しかったし、接客していたし。身なりレベルをそういう方法で担保できるなら、それもまあいいか。そんな考えで、お金にも余裕がなかったので、300円均一のアクセサリー売り場に行った。

そもそも私はアクセサリーを買う時は本当に納得しないと買わない。しっかりした品質、魅力的な作家さんでないと...となると、ほぼ確実に安いものではなくなる。だから、お金がないと「私の買いたいアクセサリー」はない。とにかく一番安くてマシなもの、と思った結果が300円均一。

髪をまとめるクリップは、機能性を求めて買った。結局、アクセサリーは買わなかったのだった。いくら「300円に見えない」品が300円で売っていても買いたくなかった。

やっぱり、自分で作るか、誰かが作ったものを買うしかないな。と思った。

300円均一のアクセサリーはどうやって作られているのだろうか。工場で機械で作っているのか、労働単価の安い国の労働者の方がすごい勢いで作っているのか。

後者だったら、人の手では作られている。けれど、そのパーツに接している時間はほんの一瞬だろう。その労働者の方も、本当はもっと時間をかけてもっと良いものを作れるはずだ。それを、お金と時間の大人の事情で縛られながら作らされるなんて。そんな事情はあるかないかわからないけど、想像してしまう。

人の手で作られたものしか買いたくない。

自分のアクセサリーボックスを見返してみると、人が時間をかけて作ったものばかり。大昔に母にもらったビーズのチョーカー、妹にもらった彫金ピアス、パートナーにもらった彫金ピアス、自分でパーツを簡単につないだピアス、憧れの作家さんの指輪・ピアス・ブレスレット。

「市販」と呼ばれるものも持っていた時期もあっただろうけど、手元には残らなかった。やっぱり、せっかく買うなら、もらうなら、使うなら、人の手で作られたものがいいと感覚的に思っている。

やっぱり、もののエネルギーが違う気がするから。
文章で書かれてい作り手の思いを読んでいたから感じるだけではない、作られたもの自体にパワーが宿っているように思う。
持っていると、なんとなく嬉しい、楽しい、しゃきっとする、自分が素敵に感じられる、エネルギーが高まる感じがする、などなど。

楽しくやりがいをもってそのものづくりをしていたとしたら、その人の気分というものが、アクセサリーの質にも影響するのではないだろうか。なんて思っている。

(逆に...ハンドメイドしている時、最悪な気分で作っていたら(お金のためにいやいや作る、誰かを呪いながら作るなど)そのアクセサリーも重々しいエネルギーになってしまうかもしれない、だから気をつけようと思っている)

もし、すべてのアクセサリーがハンドメイドになったら

「ハンドメイド」は、時代に逆行しているようで最先端なのかもしれない。

コスパという観点でいうと、ハンドメイドはかなりコスパが悪い。せっかく機械で作れるようになったのに、なぜ手で作るのか。しかも、工場制手工業ではなく1人で一から作り上げるような時間のかかる事をなぜするのだろう。

やっぱり、何か今まで(特に戦後から高度経済成長期にかけて)カウントしてこなかった価値がそこにあるからとしか私には思えない。

心の時代と言われている。

心に関わる価値がそこにあるのだと思う。私はそれを持つこと、身につけると心が満たされるからという理由でアクセサリーを買う。買っているのはアクセサリーのようでアクセサリーではない。

そのような、コスパよりその感覚を優先する人が増えたら、ハンドメイドアクセサリーの価値はずっと高まるだろう。アクセサリーというものでイメージされる価格もゼロ1つくらいは変わるだろう。作家は生計を立てやすくなるだろう。そして、そんなアクセサリーを身につけた人々の心の豊かさも変わるかもしれない。

実は、そんな時代を引き寄せていくのは作家自身なのだと思う。社会を変えることはできないけれど、自分が変わることはできる。自分が変わると、その周辺にいる人が少しずつ変わってくるから。

私もハンドメイドの良さを知る一人として、作家チームの一員として、そんな心の豊かな時代に一歩一歩近づいていきたい。


ひかりのいしむろ店主 原口あゆみ


上記はひかむろマガジン(無料・note内)からの抜粋です。
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